福井学研究発表

狼煙(のろし)の道の実証に挑戦

清水西公民館学びあい部会

歴史

取り組み詳細

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清水に市から丹生に目を広げて、ロマンに満ちた中世の山城をつなぐ「狼煙(狼煙)の道」の実証に挑戦する。敦賀からの海路、越前海岸の厨(くりや)の浦に上陸、織田、糸生、志津を経て、安居や一光へ分かれ越前北部へ進む道筋は、北陸道に対して間道(裏街道)と位置付けられ、歴史の表舞台には登場せずロマンに満ちた歴史の裏舞台となっている。この実証は間道を狼煙でつないで当時の最先端の情報伝達ツールを試してみるものである

越前裏街道(織田街道)「狼煙の道」


 調整会議を兼ねて『越前裏街道(織田街道)』「狼煙の道」』をテーマに、基本的な学習を行った。
 ①粟屋(厨)城→②織田城→③伊部岡城→④荒神ヶ嶺城→⑤小羽茶臼山城→⑥鑓噛山城⑦安居城→⑧小黒丸城
(太字が今回の実証の場とした山城跡)

狼煙の道の実証

 荒神ヶ嶺城→小羽茶臼山城→鑓噛山城を想定して、ふもとの3町内で「狼煙の道の実証」を行う。早朝、6時半から順次「狼煙を上げる→確認する」を行い、最終的に、小黒丸城を想定した県立武道館あたりで確認を行った。当時は雲の多い空模様で、「白煙」の認識には不向きな天候であったが、狼煙を上げるという行為に、600数十年という「とき」を越えて、歴史ロマンに浸るひと時を過ごせたように思う。

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成果

 九清水町内という限られた地域での活動であったが、清水に市公民館の区域以外の2町内の協力を得て実施し、2町内の住民の方々にも興味・関心を持ってもらえた、次年度以降の連携・協働の道筋がついたことは大きな成果であり、地域の歴史を学ぶことから一緒に始めたいと思っている。
 また、今回の狼煙の上げ方としては、「円筒方式(ドラム缶使用)」と「発煙筒方式」の二通り方法で実証を行ったが、今後、山頂で狼煙を上げるには、防火上の観点から「発煙筒方式」に改良を加える必要があると分かった。さらには、実施の時期、越前町内の各地域との連系など課題も多く残っている。