福井学研究発表

織物王国の誕生と変遷

佐佳枝塾

歴史

取り組み詳細

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H19福井城下の御門めぐり
H20織物王国の誕生と変遷(歴史から消し去られた染織の元勲 山岡次郎(旧福井藩士))

H19 福井城下の御門めぐり

現在、内堀と御本丸の石垣を残すだけの福井城跡も慶長11年(1606年)に完成したときは、内、中、外と三層の堀と医師が金貨困れた全国でも屈指の偉容を誇ったお城であったと言い伝えられている。その城門の数も43を超えたといわれているが、時代によってその数に増減があり、名称も変更があったようである。文化3年(1806年)の「福井御城下之絵図」及び幕末に描かれた【福井城きゅうけい】を参考に御門の跡を訪ね、それにちなんだ町名や地名を調べ三回に分けて学習した。
第一回 福井城の御門めぐり
第二回 スライドを見ての講演会 福井城の御門めぐり
第三回 福井城の御門めぐりまとめ 「福井城旧景と馬おどしについて」

H20織物王国の誕生と変遷

(歴史から消し去られた染織の元勲 山岡次郎(旧福井藩士))
明治政府は富国強兵を国是とし、列強諸国を目標にして殖産興業を推進し、当初は織物産業の振興に力を注いできた。福井県は、京都の西陣や群馬の桐生、足利のような織物先進地とは異なり、精錬、織布、染色のどの部門でも大変遅れていたが、明治の終わりごろには日本一の輸出向け羽二重織物の生産地となり人造絹糸への移行も円滑で昭和に入って陣絹王国を築いた。繊維王国を築き支えた先人たちを訪ね、その業績を顕彰する。
第一回 羽二重王国を築いた先達  福井繊維史
第二回 織物王国の変遷と山岡次郎の生涯
第三回 山岡次郎の研究
第四回 織物王国の盛衰 歴史から消された染織の元勲 山岡次郎
第五回 福井経済に見る国際化の遺伝子

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成果

空襲と自身で二度廃墟となった。福井市は不死鳥のようによみがえり今日の近代都市に生まれ変わったが、反面お堀や石垣などたくさんの歴史的遺産を失った。平成に入って史跡や歴史的遺産の復元が求められるようになり、御廊下橋や養浩館、舎人門が復元され、芝原用水も整備されるなど全国的にも注目されている。今回の企画を通して市民が史跡や歴史的遺産を大切に後世へ伝えてることの重要さを知るきかっけになればと感じている。